
りに慶應とは違った新しい政策系学部像や政策科学像を模索していると考えたい。その証左に、初代学部長である山口定は、「ビジネス・エリートの養成ではなく、市民社会のレベル・アップ、市民に政策能力を持たせることがねらい」と学部の目的を語っている。同学部のある若手の政治学者は、企業が政策科学部に「即戦力の人材を求めている」現実を見抜いた上で、「ウチはビジネス・マシーンを育成するつもりはない」とまで言い切っている。
だが、そうした政治学者の「こだわり」は、学部紹介のパンフレットで「ノート・パソコンを全学生が所持」し、「使える外国語能力を育成」するといった「実務能力の育成」を強調する大学側の姿勢と微妙なズレを見せている。政策科学部をめざす学生も、慶應SFCと同じ大学像を立命館に求めてくることが予想される。そうした中で、当初のこだわりをどこまで維持できるか、あるいは慶應型に収斂してしまうのか、しばらく立命館の動向に注目してみたい。ただ、基礎教育科目のうちの1つである山口定氏担当の「市民社会の形成と成熟」に対する学生の反応が今ひとつという彼自身の言葉は、立命館大学政策科学部の理想と現実を象徴しているように思えてならない(以上、引用は、中村龍兵著『挑戦する立命館大学改革とは何か』エトレ、1997年から)。
(4)熊本県立大学総合管理学部
1994年に熊本県立大学に設置された総合管理学部は、公立大学初の政策系学部というだけでなく、敢えて「政策」ではなく「管理」の名を冠したところに、そのユニークさがある。同学部では、キーワードである「管理」を英語名の「アドミニストレーション」と言い換え、主たる研究・教育の対象であるアドミニストレーションについて、パブリック・アドミニストレーション(公共行政)とビジネス・アドミニストレーション(企業経営)を包括・総合した意味での広義のアドミニストレーションであるとしている。そして、こうした広義のアドミニストレーションこそ、現代の国家・社会にとって死活のカギを握る最重要の社会的機能であるとし、これを統一的・総合的な見地から専門的に研究・教授し、その正しいあり方を開発・展開することが学部の課題であると位置づけている(「総合管理学部の教育と研究」による)。
私自身は「アドミニストレーション」ではなく、まさしく「政策」こそが現代の国家・社会にとって死活のカギを握ると考えるが、それはさておき、「政策」ではなく「管理」をうたうだけあって、専門科目をみると、行政学と経営学との総合という学部の性格が明
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